2009年5月1日アップ:
前編 後編

小林茂監督のほかに今回のイベントの共催者、
明治学院大学国際平和研究所の勝俣誠教授とそのゼミ生7人が登壇。
奇しくも今年の2月にケニアに校外実習に行き、
映画の舞台となったティカにも訪れたという彼女たち。
それぞれ当地を知る者同士、監督とのお話にも熱がこもっていました。


「この映画は、私が心の交流を図りながらも、
 いかに自分が傲慢な考え方で彼らにカメラを向けていたのか、
 という報告でもあります」

まずは小林監督のあいさつからはじまりました。

監督:
「長時間ありがとうございます。私は最初、この子たちに対して『何とかしなきゃい
けない』という目線で撮っていたと思います。しかし、この映画の編集中に彼らが何
を言っていたのかが分かったとき(※1)、衝撃を受けました。みんなが当時、極限
の状態で過ごしていた私の身体(※2)を心配してくれていたのです。具体的な例を
挙げますと、映画の中に出てきたスラム街に暮らす母子家庭を撮影をしたときに、小
さな、幸せな夕食の風景を撮ることができました。そこで食事の前に10歳の少女が
『今日の糧を与えていただいて、ありがとうございます。お母さんに仕事があります
ように。コバさんの病気が良くなりますように。病院の人たちが良くなりますよう
に。そして私たちの国、ケニアをお守り下さい』というお祈りをしています。現場に
いましたが、当時の私はその祈りの内容を全く分かっていませんでした。撮影したも
のに日本語の字幕が付いてその言葉を私が理解したのは、撮影が終わって1年が経っ
たときでした。それを見せられたとき、非常にショックを受けました。私は彼女が私
の事を祈ってくれたように、彼らをきちんと思っていただろうかと。
 そこから考え方がだいぶ変化していったように思います。なんだかんだ言いなが
ら、高い目線で彼らを見ていたに違いないと確信を持つようになりました。彼らのこ
とを心配しながらも、映画を作らなければという思いが先行していたようにも思いま
す。けれども、子どもたちの心情を推し量るにつれて、彼らの方が逆に我々のことを
心配しているのではないかとさえ考えるようになりました。
 先進国と呼ばれる国に住む私たちは、とかくアフリカの諸国に対して「援助」「支
援」などという言葉を使いますが、私たちは決して彼らの見本としてあるべき国では
ありません。なぜならば、彼らはああいう暮らしぶりをしていても決して自ら死のう
とは思いません。しかし日本では日々子どもたちが自らの命を絶ち、東京の駅のホー
ムでは毎日のように「〜線で人身事故が…」というテロップが流れます。そして、そ
のことに対してすでに誰も驚きません。年間の自殺者は3万人とも言われています。
そういった現実の中で、先進国と言いながら子どもたちが死ぬような状況をそのまま
放置している国々を、ケニアの子どもたちの方が逆に心配しているのではないかとさ
え思うようになったのです。そういう意味でこの映画は、わずかな期間ではあります
が私が心の交流を図りながらも、いかに自分が傲慢な考え方で彼らにカメラを向けて
いたのか、という報告でもあります。」

<注>
※1…子どもたちは英語やスワヒリ語のみならず、ティカ周辺の部族語である「キクユ語」など多種多様の言
語を使い、通訳はいるものの撮影中には分からなかった言葉もあったとのこと

※2…監督は腎不全を抱えながらも長期取材を敢行。帰国後、すぐに透析を開始した



「この映画を
 『松下さんを主人公にしない、モヨ・チルドレン・センターの活動報告にしない』
 という撮影方針があったので、
 彼らの枠組みからいかに抜け出せるかというのが私たちの課題でした」

続いて、パネリストの学生たちによる映画の感想と質問へ。

学生A: 「私たちは10日間ケニアにいたのですが、そのうちティカに滞在したのは1泊2日でし
た。現地ではモヨ・チルドレン・センターと近くの小学校を見せていただきました
が、たった1日に大人数で行ったので、彼らの日常生活からすると私たちが行ったこ
とというのは、特別な、非日常的なことだったと思います。そのため、町を子どもた
ちが『いつもここで寝ているんだよ』とか『ここでゴミを拾っているんだよ』と説明
してくれましたが、想像しないと分からなくて。それが映像で見て、ああこういうふ
うに暮らしていたんだなというのが改めて分かりました。
 そこで質問ですが、監督も初めて町に入ったときは、カメラを持った特異的な人と
して存在したわけですよね。撮影にあたって、どのように子どもたちに溶け込むよう
に努力をされたのでしょうか?」
監督: 「そもそもこの映画は私と松下さん(※3)との付き合いの仲でできた映画ですし、
モヨ・チルドレン・センターというNGOの存在が大きくある中での活動なんですね。
ですから、センターの中で彼らの活動や、松下さんの動きを撮ることには何も問題は
ありませんでした。ただ、この映画を『松下さんを主人公にしない、モヨ・チルドレ
ン・センターの活動報告にしない』という撮影方針があったので、彼らの枠組みから
いかに抜け出せるかというのが私たちの課題でした。
 ですからセンターの中での子どもたちはいいんですが、町なかで子どもたちが仕事
をしているところに、日本人スタッフがカメラを持って入っていくというのは、非常
に迷惑な話ですし、非日常な話なので大変でした。彼らの名前と顔、性格が分かるま
で2カ月くらいかかりました。さらには彼らと仲良くなれても、彼らを撮っていると
いうことを町の人たちに許容されなければなりません。実際に子どもたちには許可を
もらって鉄くず拾いについていったとき、町の人が子どもたちに何か話をしているこ
とがありました。言葉は分かりませんでしたが、『外人を連れて何をしているんだ』
などと言われていたのでしょう。しかし、そういう場面は逆にチャンスだと思ったの
で、片言のスワヒリ語を使って握手を求めました。向こうも握手で応じてくれると、
そこから私のことや、こういうわけでカメラを回しているんだよという話をしていま
した。それを何日も何日も繰り返していると、『また今日もコバが来ているよ』とい
うことになるわけです。そうなるまでが大変でした。
 けれど最終的には、子どもたちが助けてくれましたね。例えば、チョコラというの
はケニアの人たちからすれば恥部にあたるので、撮影自体に抵抗を示されることもあ
りましたが、何を撮っているんだという話になると『いやコバは僕らの友だちで…』
というふうに守ってくれました。また、ちょっとやばそうだな、というときには『コ
バ、カメラ、NONO!』と教えてくれたりもしましたね。」

<注>
※4…松下照美氏。96年にケニアに渡り、99年に地方都市ティカを拠点としてNGO「モヨ・チルドレン・センター」
を設立。現在も当地にて、子どもたちへの支援活動を続けている。監督とは94年にウガンダを共に訪れている



「この映画を見て一番に感じてほしいのは
 彼らの生命体としてのシンプルさ」

学生B: 「映画の中でチョコラの子がセンターに引き取られ、『シャワーを浴びれる』と喜ぶ
シーンがありました。現地でも思ったのですが、松下さんに引き取られるのは幸せな
ことなんじゃないかと思っていました。選ばれた子たちは幸せだな、と。しかし映画
の中に出てきた母子家庭の映像を見たとき、彼らはご飯もろくにもらえないし、タラ
イの中でゴシゴシと身体を洗われるような生活でも、そっちの方が幸せそうだと思っ
たんです。スラム街でも家族と一緒に温かい生活を送れるほうが、幸せなのだと改め
て感じました。
 質問ですが、チョコラはケニアにとっては恥部だったり影の部分であったりすると
思いますが、映画では明るくポジティブに描かれていると思います。なぜそのように
作られたのでしょうか?」
監督: 「私もあの夕食のシーンは、涙が出るほど幸せな気持ちで撮りました。夕げがあり、
母がいて、子どもがいる。それだけで幸せなんだなと思いましたよ。
 ご質問についてですが…とても難しい質問ですね。チョコラをマイナスに、ネガテ
ィブな感じで撮ろうと思えばいくらでも撮れますし、世界にはそういう子どもが数多
くいるんだということに関連させる方法もあるかと思います。けれどもこの映画で言
いたいのは、子どもたちの生命体の輝きを感じて欲しいということなのです。
 私たちは日ごろ色々と余計なものを身につけて生きています。その中で、悲喜こも
ごもの悲しさがあったり、幸不幸があったりするわけです。しかし、彼らは本当に着
ているものだけが身を守るものなのです。この映画では、あえて裸のシーンがたくさ
ん出てきます。それは彼らの身体つきを見てほしいからです。彼らは身体一つあれば
生きていけるということを知っています。端的に言えば、生命体の原石の輝きを彼ら
に感じるのです。
 我々は色んなことに悩んだりします。例えば、子どもを事故や自殺で失った親御さ
んのインタビューを目にすると、必ず『生きていてほしかった』とおっしゃいますよ
ね。その『生きている』ことが掛け値なしに面白いことだし、明日どうやって大人を
騙してでもいいから生きていこう、というのは、毎日毎日がサバイバルで楽しいこと
なんですよね。
 状況を考えると足りないことはたくさんありますが、彼らは食べたものはどんなも
のでも栄養にしてしまうようなシンプルさを持っています。生命体としてのシンプル
さを全面に感じて欲しいと思うのです。私たちは何不自由ない生活がある一方で、日
本で生きていくことは大変苦しくもあります。アフリカに行って帰ってくると元気に
なる、と行かれた方はよくおっしゃいますが、なんとなく『生きていればいいんだ』
という感じがあるんです。それが『最初は孤児院に引き取られた方が幸せかと思った
けれど、夕食の風景を見たときにこちらの方が幸せそうに見えた』ということに繋が
っていると思います。
 けれど、それはこの映画の本質を突いているとても難しい問題で、僕も未だにに分
からないんです。映画って言うのは、みなさん、完成したらゴールだと思うでしょ
う。私もそのつもりで作りますが、その時点で見えているゴールは蜃気楼なんです
ね。通過してから、実は完成した映画が逆走して向かってくるように思います。今、
この映画を皆さんと同じように見ているんです。もう1回考え、悩んで、アフリカを
感じるのが、映画が出来ての今なんだと思います。」



「アフリカというのはモノではないので、
 ある種の価値観を変えていかないと関係も変わっていかない気がします」

学生C: 「アフリカに対しては一般的に『かわいそう』というイメージがありますが、実際に
センターにいたストリートの子どもたちは、強いというかしたたかというか、以前に
感じていたものとは違う印象を受けました。本気でのけんかをしていたり、ご飯が出
てきたときはすごい勢いで群がっていったり。私はご飯を食べるときにこんなに必死
になったことがあったかと思うと、同じ人間だけれども、『ある』ものに対する感覚
が違うと思いました。でも、自分が子どもだったときと同じような、無邪気な笑顔も
あって。『先進国には何かがあるけれど、何かがない』ということをケニアに行って
思いました。ケニアの子どもたちは人と人との間が近いというか、距離だけではなく
て、心の繋がりなのかと。ケニアに『ある』のは、そういうことなのかなと思ったの
ですが、監督はケニアでどう感じられましたか?」
監督: 「難しいですね。私は約50数年生きてきた中で、まだ自立してる意識がないんですよ
ね。この映画もスタッフみんなで作ったものですし…。基本的に、彼らは自分一人で
がんばって生きているって言うところが尊敬に値するところだと思います。アフリカ
というのはモノではないので、ある種の価値観を変えていかないと関係も変わってい
かない気がします。」

…前編はここまで。
映画から派生して色々と素敵なお話を聞くことができました。

後編は学生さんによる感想と質問に続き、会場と監督との質疑応答の模様をお伝えします。


小林 茂(こばやし・しげる)
1954年生まれ。
92年『阿賀に生きる』(佐藤真監督)の撮影により
日本映画撮影監督協会第1回JSC賞を受賞。
一方、自身での監督・撮影作品として、
三部作『こどものそら』(97〜00年)を発表。
04年には『わたしの季節』で文化庁映画大賞や
毎日映画コンクール記録文化映画賞などを受賞。
09年5月8日には本作の公開に合わせて
「チョコラ! アフリカの路上に生きる子どもたち」
(岩波ブックレット)を出版。



チョコラ!
「チョコラ」と呼ばれる
ケニアのストリートで暮らす子どもたちの姿を追った
ドキュメンタリー。
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監督/小林茂
音楽/サカキマンゴー
撮影/吉田泰三
特別協力/佐藤真
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【公開情報】
2009年5月9日
ユーロスペースほか全国順次公開
2008年/日本/94分/
英語・スワヒリ語・キクユ語
配給/東風

(C)2009 Yoshida Taizo