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2009年6月26日アップ:


ジョージ・チャキリスとマイケル・ジャクソンは、
私のダンシング・ヒーローでした。



マイケル・ジャクソンが亡くなり淋しい限りですが、
歌って踊るカリスマが、彼だったと思う。
もちろんその前はチャキリス。
歌と踊りで、世界の恋人と言われました。
本気でカリスマを見つめてきた私の心の中に、
彼らがいなくなることは永遠にないのです。




テレビCFでこの夏も目立ったものは、どうしてもビールもの。
その中でも、
清涼飲料の三ツ矢サイダー・オールゼロはがんばってましたね。
新しい飲み物でもないのに、
テレビだけでなく、駅から見えるアドボードからも、
糖分や添加物ゼロの次世代三ツ矢サイダーの誕生を伝えていました。
そう言えばサイダーって、日本独自が開発した唯一無二の飲み物。
歴史的にも古く、さかのぼること今から何と、100年以上も前。
双璧のカルピスより10年ほども先輩なのです。
当時はシャンパンのような清涼飲料というのが売りだったとか。
確かに、あのシュワーっというさわやかさは、
子どもにとってはちょっとぜいたくな飲み物で、
カルピスが水で薄めて飲むことに比べ、
一つ、一つ、栓抜きで蓋を抜いて
飲ませてもらうたびにときめきがありました。
夏休みの旅行で出かけた宿に着くやいなや、
「サイダー飲ませてー」と甘え、
言うことを聞いてもらうとゴキゲンになれた、
子供にとっての至福の時間。そんなひと時を作ってくれた。

それが次世代になると、何とオールゼロか。
まだ試していないけれど、サイダーから甘味を減らしたら、
もうサイダーとは言えない気がして、ちょっと淋しい。
もう、サイダーは、
子どもの頃の思い出としてしか存在しないのだろうか、それも淋しい。
はたまた、甘味のないものが、
サイダーの進化なのでありましょうか。

さてさて、さわりが長くなりましたが、
そのCFに出ている男、
これまたビールのコマーシャルにはそぐわない方。
ヘルシーを代表するような
スリムでクリーンなイメージ代表の東山紀之様。
「必殺シリーズ」でも、
悪人退治に腕をふるい世の中をクリーンにする役どころが
この商品とリンクもしているのでしょうか。
躍動感ある鍛えたボディを自由自在にしなやかに、
踊るがごとくの立ち振る舞い、見惚れていたら、
おっ、誰かに似ているぞ、
ああそうだ、この体の動き、この髪型、
あの、ジョージ・チャキリスのようではないか、と。
唐突にもその時代を思い出してしまいました。
『ウエストサイド物語』のチャキリス、
『ロシュフォールの恋人たち』でも歌って踊ったチャキリス。
世界の恋人と言われ、日本びいきでもあった彼が、
いく度となく来日すると、日本中が大騒ぎだったのです。
ダンサー出身のところも東山様と同種と言えそうで、
今、彼がチャキリスを意識しているのかどうか、
うかがってみたくなりました。

『ウエストサイド物語』は、
日本では何と1年以上もロングランされた大ヒット映画で、
その年のアカデミー賞11部門ノミネートのうち、
10部門をかっさらったというお化け作品。
チャキリスは、ワルっぽい役回りで主演男優を食ってしまい、
助演男優賞を獲得。
唯一親の目を盗んで渋谷パンテオンに出かけ、
立ち見で続けて2回、約5時間を夢中で過ごした作品で、
当時、真面目な中学生だった私にまで波及したオーラは、
ひとえに彼の歌と踊りっぷりにあったと思います。
バーンスタインの楽曲とあいまっての、
歌って踊る姿にダンスというもののパワーを見せつけられ、
深く印象づけられたのです。

しかし、それから20代も中頃を迎える頃には、
拝んでいるばかりのダンスものから、
自分も参加できそうなダンスものにと、
人々の心は動いていきました。
そう、チャキリスはまぶしすぎる、距離がある。
遠い存在だからこそ素敵なのでしたが、
自分も踊らにゃ気が済まないという
エモーショナルな気持ちは抑えがたく、
その時はもう、私は、いえ、ダンス好きは、
そう、あのマイケルに夢中になっていたのでした。

半世紀をしょいながら
スっとこの世からいなくなってしまったマイケル・ジャクソン、
彼こそ拝むだけのダンスから、
参加させてくれるダンスに導いてくれた救世主でした。
だから、彼の功績は大き過ぎるほど。
全米トップ10チャートナンバーワンに、
ビートルズの『レット・イット・ビー』を
押しのけて躍り出たジャクソン5時代のマイケルの歌と踊りは、
なにしろそれまでのR&Bのスターたち、
サム・アンド・ディブやマービン・ゲイら
多くの才能がそのまま凝縮したモデルとして、
ダイアナ・ロスによって世に送り出されたのだから、
お墨付きだったのです。

実は私、こう見えても美大時代は、
学校内で夜ごと繰り広げられるダンパ(ダンスパーティー)で
鍛えたダンス好き。
当時の本場、新宿に集うヒッピーの方々までもが、
遠く鷹野台キャンパスまで遠征してくるほどの
名高い我が母校のダンパが,
学生運動にも縁のない私に、
ダンスの醍醐味をたたき込んでくれたのです。
その後、社会人になっても
新宿「花椿」とか、
六本木のディスコばっかり入っている六本木スクエアビルなどの
ディスコテークには、
今で言うとカラオケする感覚で足繁く出かけていたものです。

なにかというと『スリラー』が取り沙汰されるが、
彼の真骨頂は一つ前のソロ・アルバム
『オフ・ザ・ウオール』だと思う。
大ヒット曲が2曲も入ったこのアルバムの
『今夜はドント・ストップ』と『ロック・ウィズ・ユー』。
この曲はディスコで流れっぱなし。
疲れ吹っ飛ぶこの2曲。
乗りの良さは他の追従を許さない。
スポーツ・ジムなんかない時代、すっきり出来る場所がディスコで、
この曲はどんな曲より踊りやすかった気がしますね。
帰りは愛車の黄色いワーゲン・ビートルで
六本木から自宅までフルスピードでー。
と、楽しい時代、そんな時代の申し子がマイケルなんですねー。
しかし、しかし、彼はそんな実力に物足りず、
ブラックからホワイトに進化(?)したがったわけで、
私のマイケルは、あくまでまだブラックだった頃が最高でした。
(私的には、先に触れた三ツ矢サイダーとおんなじなのだ)
『オフ・ザ・ウオール』のアルバム・ジャケットは、
今も私の自宅の地下室にそのままありますが、
そのジャケ写は、ブラック時代の彼が、
ジャクソン5の時と同じように、陽気な笑顔で踊っているのです。
このアルバムの持つ品格は、
何しろクインシー・ジョーンズが
プロデュースしていることで醸し出されています。
本来のソウルミュージックの真髄が詰まっていて、
質の高さが凝縮されており、
現在のすべての音楽のマニュアル的存在であると確信しています。

そのクインシーとの縁は、マイケルの恩師にもあたる、
ダイアナ・ロス主演のミュージカル映画『ウイズ』。
あの『オズの魔法使い』の
クインシー・ジョ−ンズ版ともいわれる名作。
マイケルは案山子役で出演。
この映画を当時、ニッポン放送に勤めていた叔父の関係で、
いつも新作映画を観ることが出来た私は、
いち早く試写会で観て、唸ったものでした。
「斬新」、「シュール」、「アーティスチック」の
3拍子揃った傑作でした。

そんなわけで、進化(?)する前の彼をもう一度思い出しつつ、
彼を偲びたいと思うわけであります。
そして、「彼は生きている」という噂も流れていますが、
マイケルはこのように、
年代、時代でさまざまに様変わりし続け、
それぞれの私たち、みんなの中に、
それぞれの思い出となって生き続けることでしょう。
心より、「ありがとうマイケル」と言いたいです。

▲『ウエストサイド物語』は、現代クラシック音楽の天才的作曲家、バーンスタイン
の曲に合わせ、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のNYダウンタウン版とも
いうべき演出の傑作。

▲『ウイズ』は、ジュディー・ガーランド主演の名作『オズの魔法使い』のクインシ
ー・ジョーンズ版。ダイアナ・ロスと一緒にマイケルをはじめとして、オールブラッ
クキャスト。「カラード」を意識してか、映像は原色を効果的に使い、斬新なファン
タジーとして注目された。ふたつの映画は、オリジナルを自由な発想と自由な表現で
完成させた点がさらなるオリジナリティーを生みだすことに成功。その点で共通して
いるミュージカル作品。

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野てるみ(たかの・てるみ)
美大卒業後、新聞記者を経てフリー編集者、
ライターとして『アンアン』など女性誌を中心に活躍。
85年に、編集プロダクション「T.P.O.」を設立。
出版プロデューサーとしても活躍。
87年には映画配給会社「巴里映画」を設立。
フランスなどのヨーロッパ映画の配給を手掛ける。
編著書に「映画配給プロデューサーになる!」があり、
映画記事なども執筆。
映画関連のセミナー「CINEMA SCHOOL」を主宰。
文京学院大学や朝日カルチャーセンターで、
映画関連の講師も務めている。

巴里映画ホームページはこちらから




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